7/13

30代で歩けなくなり、車椅子ユーザーになった私にとってずっと疑問だったのは、普通なら「怪我で歩けない=助けなきゃ、不便だろう」となる、それが当然なはずなのに、この日本では気持ち悪い、邪魔、鬱陶しいになるのは、なぜなのか? ということ。

おそらくその答えはアートにある。

この国ではアートといえばせいぜい岡本太郎の言葉でも読むのが関の山といったレベルだろうが、そこが問題なのだと思う。アートとは異質なもの、違和感、言葉にならないものなどを取り扱う代表的な分野だが、私のような障害者はある意味、健常者の人たちからすれば異物でもあるわけで、そのような「Otherness=異質なもの」と接した際に、どのような態度を取るか。知覚を働かせねばならないアートと違い、スポーツ観戦やスマホゲーム、アイドルのXアカウントにコメントを残すなどのみなさんの大好きな暇つぶしからは、どうやったって鍛えられようのない要素である。

ちいかわは礼賛し、アートは敬遠する。そんな精神的おぼっちゃん・おじょうちゃんの国。それが日本だと思う。

ついでに言うならば、言霊(ことだま)ではないが、自分らを健常者と呼び、怪我で困っている・不便を強いられている人らを(それだけの理由で)「障害者」と呼ぶ・カテゴライズする・忌避する、そのメンタリティにこそ、何にも増して魂(たましい)の貧困さが表出しているのではないか、私にはそう強く感じられる。

真逆の考え

音を出す上で、ある程度の緊張感や違和感、強度、ソリッドさ、冷たさといったことを意識しながらやっているのだが、ここのところ真逆の考え方に至っている。すなわち、ゆるさ、だらしなさ、弱さ、ソフトさ、温かさといったものの必要性について。

3/18

30代で歩けなくなり、車椅子ユーザーになって気づいたのは、社会にはある一定数の障害者は鬱陶しい、目障りだ、大人しくしてろ勢がいるということ。SNSはそれを可視化する。でも、私にはそんなハードルすら軽々と飛び越えてきてくれる仲間も大勢いるので、SNSはしんどいけど、同時に希望でもあります。

木の成長を妨げる要素は多いのだけど、ゆえに、木の形態は、それ自体が何らかの不可視の空間を表している気がする。

リルケはこれを世界内部空間と呼んだ。木は、その不可視の空間を人間に予感させる唯一のものであると武満徹さんも仰っていた。

Kevin Drumm

Kevin Drumm(ケヴィン・ドラム)の『Relief』に強い感銘を受ける。まるで電子音による激しい乱気流の中に突入したかのような、36分51秒に渡る轟音ドローン。

2/24

褥瘡(じょくそう=床ずれ)のあった左臀部を庇っていた右臀部も褥瘡になり、それを庇っていた右肘も(肉が露出するほど)ダメージを受け、身体を支えることができなくなった。そんな折、車いすの前輪(右キャスター)のワッシャーが壊れ、生活の基盤がことごとく崩壊、鬱状態に陥っている。

両臀部と肘を庇い、うつ伏せ寝で過ごしていると、もはや音楽を聴く以外できることがないことに気づく。その点、自分には音楽があって良かったなと思う。いい機会なのでここ数日は坂本龍一さんの全作を聴き返している。

Guy Birkin (2)

時の崖のDiscordで、Wataru Naruseくんと私との共作『DrumLoop』をGuy Birkinが褒めてくれていて。”good stuff”と。とても嬉しかった。

Guyは私が心から敬愛する音楽家で、いつか実際に会ってみたいと思っている人。ちゃんと聴いてくれる人がいると励みになる。