音を鳴らす、納得できずにまた鳴らしてみる。絵の具を乗せ、じっくり塗り重ねる、あるいは何かが違うと感じ、再び一からやり直す。岩を削る、ガラスを熱する、粘土をこねる、身体を動かす…。
それって大抵の場合、とてもゆっくりの速度なんですよね。本当にじっくりと自身の思考と向き合う、作品と向き合う、対象を見つめる。何かから何かを感受して、また進む。いや、子育てだってそうだと思うし、美味しい料理を探求するのだってそう。芸術の種子というものはそこかしこに隠れています。
でも世の中の動きはそうではない。芸術に対する科学の速度と言いますか、物凄いスピードで歪みながら突き進んでいる。
結局のところバランスの問題ではありますが、科学だけを信じていると人間は感受のセンサーが機能不全に陥りますね。怒りや悲しみなど、人の本当の気持ちの分からない人が増え、文句だけは一人前になり、花は咲いても何ら心に響かずただ踏みつけるだけの物になり、冷たい言葉、暴力、無関心、冷笑があらゆる場所を埋め尽くします。
「世界中で起きているあらゆる悲劇は芸術の欠如から来る」。私は20代の頃に美大でそう教わりました。まったく同感ですし、今でもその考えは変わりません。むしろ確信が深まっている気がします。
なぜなら、芸術とは、世界共感を再編成するシステムに他ならないから。











