アート・ワールド

ビートたけしが、「どうせわれわれは、あと二、三年経ったら、消えるんだ」みたいなことを、現在の彼の活躍ぶりを相対化した上ではっきりと言います。彼はよくわかっているし、彼の言っていることを、言葉通り受けとった上のこととして聞いてほしいのですが、今、そんなことを言っててもしようがないと思う。一つでも二つでも積み重ねていかないとどうしようもない。日本のアート・シーンはどこにも負けない素晴らしさがあって、何かやると、すぐに打てば響く調子で反応が来る。今日、ニューヨークでやったら、明日は、反対に日本からニューヨークに押し出すような、そのぐらいのエネルギーと力をもっている。でもアート・ワールドはどこにもない。

それでも、シーンとして、アメリカやヨーロッパでも通用しているのは、大袈裟に言うなら、ニューヨークやパリやロンドンでも九十九パーセントはアート・シーンの流れだからです。世代を作ってきた、ヒストリーに残っているアーティストの作品は、50年、60年代以降、70年まで見て行くと、少なくともどこの国のインターナショナルな、大きなエキジビジョンにも入る。殆ど全ての国のメインの美術館が買い上げている。なおかつ、十年経っても、その時期の大きな展覧会があれば、必ずその作品を出してくる。ある程度までの位置づけが可能な作家が、アート・ワールドにいる人間だとするなら、それは本当に一握りにすぎません。

- 中村信夫『少年アート/ぼくの体当り現代美術』(スケール、1986年)、150-151頁

規定

「自分は写真家だ」「自分はこういう作品を作る」と、あらかじめ規定してしまうことで自由が狭まる、というような話を友人とする。展示やトークも単なる作家の活動やコンセプトの補強でしかなくなる。もったいないよね、と友人が言う。

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