Photo

ポートレート (3)

はつむ( @hatsumu )さんにかっこよく撮ってもらった。「内村くん、撮られるときはいいですよ〜べつにとか言う癖に、後で全部送ってください!とか言ってすごく自分の写真を欲しがるよね」と笑われたり。

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CP+2026

写真家の坂井竜治さんとパシフィコ横浜にて開催中の「CP+2026」のプログラムの一つ「ZINES FAIR at CP+」へ同じく写真家の百頭たけしさんに会いに行ってきた。約2年ぶりの再会。

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百頭さんの新作ZINEを1冊買う。奥さんの藤林悠さんのドローイングZINEも素晴らしかった。

辺りをぷらぷらしてみよう、となり気になったブースをゆっくりと覗いて回る。ぐいぐい来るような作品はとくになかったかな、取って付けたようなコンセプトやテーマにすら作品が負けている印象。なかでも「衝動」をテーマにしている方がいたけど線香で写真に穴を開けていたりね。そうじゃねえだろうって。お前の性衝動すら見せてみろよ、嘘つくな。って話を後で喫茶店でしたりした。ZINEというかもう写真集と呼んでいいくらいの製品として仕上がっているけれど、ただきれいにまとめているだけではそこ止まりでは。

そんな中でたまちゃん(寺崎珠真さん)と数年ぶりに再会したりも。彼女の写真は相変わらず骨太で、まるでなよなよしておらずストレートでいいね。横っちょに私の盟友、オカダキサラもいたな笑 みんな良くも悪くも相変わらずで、そして元気そうで良かった。

帰りにサンデッキにていつものようにポートレートを撮ってもらう。

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Cf. CP+2026: The world premiere show for cameras and photographs
https://www.cpplus.jp/

リズム

写真、4年ぶりくらいにまた撮り始めて、体内のリズムがかなり戻ってきた感ある。やはり続けていたことを急にやめると反動がすごいんだな、という印象。家の中から外に出て、前を向いて歩くようになっただけでも十分いいんじゃないって思う。

物の様態

私にとって写真の関心事はつねに物の様態というか、物が物でしかない感じだったのだけど、音楽に移行してからあまりそれを意識していなかったなーと。あの感じ、ちょっと思い出したい。

デジカメ

僕にとってデジカメは結果が早すぎる。撮りたいと思った時には、その光景の全てを把握している訳ではないから、撮り損じることも起こります。デジカメの場合、撮った写真をすぐに見れるから、その場で確認して、思った結果でなければ、すぐに撮り直したくなりますよね。でも2度目にシャッターを切る時には、最初の撮りたい衝動は消えていて、感覚的なことよりも図柄が優先されていく。フィルムの場合、すぐには結果が見えないから、いま目のまえにあるものに意識を集中せざるを得ない。今のところ、その撮り方が自分には合っているんです。

それから、フィルムというのは現像とプリントという手順が必要で、ただ撮っただけでは写真にならない。でもデジタル写真は撮ったその場から写真として存在しているし、モニターで見ても、データのまま送っても、プリントアウトしてもいい。フィルムの場合は残り何カット撮影できるかと考えたりするけど、デジカメはそうした物理的制約もない。あとから加工もできるから、撮影の段階ではひとまず撮るという撮り方に誘う。でもそれは撮影時のいろいろな選択を全て保留しているんですよね。ものを作る人というのは、表現手段が何であっても、その都度意思決定をして前に進むところがある。だから、デジカメで何となく撮っておいたものから、いくつかつまみ上げたイメージを並べて、これが私の作品です、と言われると疑問を感じます。

写真家・鈴木理策インタビュー | KABlog | Kansai Art Beat

同等性

肖像作家の才能とは、同一性(identity)ではなく同等性(sameness)によって写真を撮ることである。同一性(アイデンティティ)の「同じ」が主語に関わる(「私」は「私」であって「あなた」ではない!)とすれば、同等性(セイムネス)の「同じ」は、述語に関わる。裸になれば「同じ」、病気になれば「同じ」、死ぬときには「同じ」、あなたは私と「同じ」だ、と。同一性の写真は、個人のアイデンティティを確定し、尊重する友情とオネスティの写真であり、輪郭=全体像を保全する写真である。同等性の写真は、アイデンティティにお構いなく述語や動詞が「同じ」である事を通じて、相手を自分と「同じ」存在として見つめる。それは正体ではなく、正面に反応する、愛とユーモアの写真である。当然、アイデンティティに囚われた意識にとっては、不快で、タブー侵犯的でもあるが、「肖像」の魅力はそこに由来する。

清水穣 – 54:「沖縄」と「肖像」 — 石川竜一の『Okinawan Portraits 2010-2012』 – ART iT

イメージ

私にとってもはや〈イメージ〉は乗り越えられるべき対象である。私から発し、一方的に世界へ到達するものと仮定され、そのことによって世界を歪曲し、世界を私の思い通りに染めあげるこのイメージは、いま、私の中で否定される。

- 中平卓馬『なぜ、植物図鑑か/中平卓馬映像論集』(ちくま学芸文庫、2007年)、18-19頁

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