VIVO、コンポラ、ミニマル、コンセプチュアルフォト、ニューカラー、ニュートポグラフィック、ニュードキュメンツ。
私は何一つ知らない。
VIVO、コンポラ、ミニマル、コンセプチュアルフォト、ニューカラー、ニュートポグラフィック、ニュードキュメンツ。
私は何一つ知らない。
べつに石を叩いたり木を削ったり絵の具を乗せたりしない写真家は、他のジャンルと違って素材の抵抗に遭ったりそれと格闘して挫折したりすることが少ないので、自意識ばかりが暴走しやすいというのが持論。
専門学校なり大学なりで教育を受けたわけでもなく、また誰かに教育指導を受けたわけでもない。制作費・機材購入費をかけたわけでもなく、他人の作品を買っているわけでもない。このような「投資」を行っていないのだから、当然、見返りもあるわけがない。アートという業界だって社会の一領域である以上、さまざまなしがらみ(人脈や金脈など)がある。そのような人脈・金脈を活かせない限り、私は万に一つもフォトグラファーにはなれないだろう。つまり、金がなければ業界内では生きていけないというわけだ。だから、私はもっと自由にならなければならない。自由になった上で、改めてどう生き延びるか? を考えていくこと。
撮影に♪└(^ω^ )┐♫┌( ^ω^)┘行こうかな♪
↑ ここまでテンション高くないけど…。
ヘルパーさんに「もう写真やめようと思うんですよ」と言ったら「ほら、また始まった!」て笑われた。
大井町で激しい夕立に遭った。様子見でイトーヨーカドーで雨宿りしていたら、背広姿のおっちゃんがわざわざ親切に声をかけてくれた。スマートフォンで雨雲の動きなどを調べて「今が一番激しい時間帯っぽいんだよね」と。あと少しすれば弱まるかもと言うので、もう少しここで待ってみますと一旦別れた。で、新星堂を冷やかしたりして時間を潰し、再度入り口まで行くと、雨は弱まる気配がなく、あーっとなってたら、肩を叩かれ、おっちゃん再登場。もうこれは一気に行ってしまおうと意見が一致し、一緒の傘に入ってザーザー降りの中、駅ビルまで2人で猛ダッシュした。ダッシュしすぎて歩道の段差でつんのめって車椅子から転落しそうになった。それでけっこう濡れたのだが、駅ビルに着くとハンドタオルを取り出して「これ上げるから拭きなさい、後で捨てていいから」と渡してくださり、さらに「声をかけた責任があるから、ついでにエレベーターの場所まで行くよ」と、改札へ通じるエレベーター前まで同行してくれた。何度もお礼を述べると片手を上げて去って行った。後になっておっちゃんに名刺とか渡せばよかったなと後悔したが、こういうのは一期一会なのかも知れん。
なんだろ…毎日見てる病室でも光の具合でまったく別次元に思える…光ありきなのか。
アートの機能って「人間も捨てたもんじゃない」で十分だと思うんだ。