作曲者の意図によって的確に配置され、そして最大限に効果的に扱われる音たち。それを美しいと感じると同時に、どこか窮屈でもあると感じる自分がいる。遠藤ふみさんの音楽を聴くといつもそのことを考える。生意気な意見に思われるかもだが、もしかしたらこの方はまるで少しだけ隙間を作るように、曲という器から溢れ出る水のように、そういう音の在り方を解き放とうとしているのかも、と私には感じられるときがある。

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