友人とカットアップについて電話で熱く話し合う。
白紙
青写真というか予め用意したイメージに近づこうとすればするほどイメージから離れてゆくもどかしさがあって、やはり白紙というかまずは音を出しできあがったものをイメージとする方が自分には合っているみたい。
改良中
Pita (Peter Rehberg)
私の中でPita(Peter Rehberg)はとても不思議な存在だ。追悼アルバムに誘われ初めて彼を知った。必死に彼のことを調べたし、彼の音楽の大ファンにもなった。だが「遅れてきたファン」である自覚は消えなかった。そのことが彼への複雑な思慕の念を醸成している気がする。
Pita (Peter Rehberg) is someone I find hard to describe. I first learned about him when I was invited to contribute to a memorial album for Pita. I desperately researched him and became a big fan of his music. However, the awareness that I was a “late fan” never disappeared. I think that’s the basis of my complicated love for him.
見立て
最近考えているのは、水の音を一切使わずに水的なものを表現するということ。渦巻いたり、跳ねたり、流れたり、淀んだり、落下したり、うねったり、泡立ったり。それをできれば電子音のみで表すこと。
AISO
パーフェクト
3曲をHoly Similaunと共有。Track 1に関し「もう少し音があると良いかも」との助言をもらい溶かしたピアノの音を加え、再び共有。「曲の終わりがやや唐突かも」との助言をもらいさらに曲の長さを3分強から4分強に伸ばし曲の終わりをフェードアウトさせたバージョンを共有。「パーフェクトだ」と言われる。
制作への姿勢
「この程度でいいか」からの卒業。「1ミリも自分に嘘をつかない」という制作への姿勢、わたし自身、ひいては音楽に対する覚悟について。
芥川也寸志『音楽の基礎』
芥川也寸志さんの『音楽の基礎』を読み始める。いきなり無響室や大砂漠の夜の静寂という(精神に異常をきたすほどの)特殊な環境の話から始まり、かすかな音響の存在する日常的な静寂の美の話になり、音楽の美へと話をつなげてゆく感じが良い。
作曲家は自分の書いたある旋律が気にいらないとき、ただちにそれを消し去ってしまうだろう。書いた音を消し去るということは、とりも直さずふたたび静寂へ戻ることであり、その行為は、もとの静寂のほうがより美しいことを、みずから認めた結果にほかならない。
音楽は静寂の美に対立し、それへの対決から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことのなかにある。
- 芥川也寸志『音楽の基礎』、岩波新書、1971年、p.2
奥ゆかしさ
単なる音の羅列だったものが、一つの音楽に変貌する瞬間ということについて考えている、、。私に音楽は無理なのだろうか。どうしても音単位で考えてしまうし、ストラクチャーの観念が抜け落ちている気がする。
たとえば高い音とか、低い音とか、中音域?とか、みんなの曲を聴いているとしっかりデザイン?されているように感じられるし、そういうこと一つとっても自分にはできないというかかなり難しい。練習? 学習? 慣れ? 感覚的なもの? 音楽を志向することとは?
シャッターを押せばひと通り何とかなった写真とは違い、音楽にはテクニカルな部分と感覚的な部分に収まらない、何かもう一つの壁のようなものがあると感じている。音楽の奥ゆかしさ? のようなもの。

